5月3日の西日本新聞の社説から


「まず自己紹介をさせてください。」で始まった5月3日の西日本新聞の社説。
59歳、まもなく還暦の60歳となる”団塊の世代”仲間であるこの主人公は、実は”教育基本法”。
まだまだ現役で頑張りたいらしいが、兄の”日本国憲法”と共にGHQ主導で制定された脛に傷持つ身と言われ、個人の権利尊重に偏向し愛国心が足りないと言われ、散々なようすを嘆きつつ、国民の一人ひとりに、己の反省の評価と将来の在り方を判断してほしいと告げていました。
だから今日は、”教育基本法”さんへのお返事を書いてみたいと思います。


はじめまして、”教育基本法”さん。
あなたの嘆きに考えさせられ、ひとこと申し上げたく、筆をとりました。
確かに、時代と共に変わらなくてはいけないものもたくさんあると思います。
でもそれだけでしょうか?決してそうではありません。
昨年からの昭和ブーム等もその時代を生き抜いてきた”教さん”(・・・すみません馴れ馴れしくって、今回だけ勘弁してください。)たちにとっては、生きることが大変だった当時をしらないくせに何を甘い事を、と、思われていることでしょう。
時代の躍動感が、人情味あふれる人々の生活が、羨ましいといいつつ、実際にはプライベートの無い田舎や下町には住みたくないと言うくせに・・・。
無いものねだり・・・それが現実です。


受験戦争がいいとは思いません。でもこのまま学力が低下していったとしたら、世界における日本の選択肢は減り、選べる人生の巾も少なくなるでしょう・・・。
限りある時間の中で何もしない事の弊害が後でどんなことになるかを考えもせずに過ごそうとしている今のままでは、他人に依存するだけの”きりぎりす”のような未来しか待っていないのです。
そんな未来を遺していいのでしょうか?
”教さん”世代の人たちをはじめ、みんな今のこと、自分の世代のことしか考えていない気がします。


確かに教育現場の崩壊はとめども無く、目標がみつからない子ども達がそのまま大きくなり、意欲のない大人となり、”ニート”と呼ばれ始めています。
でもそれは、”教さん”のせいでしょうか?
失礼ながら”教さん”をそらで言える人が何人いるのでしょう?(試験としてではなく)
ましてや本当の意味を考えている人はどのぐらいいるのでしょう?
ですから、”教さん”たちのせいではないのです。
一人ひとりの生き方の問題だと思うのです。
”教さん”たちを言えなくても、カッコよく生きることができたら、その姿を子ども達にみせることができたら、それでいいのですから。
”教さん”たちは、合言葉のようなものなのです。
だからこそ、志は高く「世界の平和と人類の福祉に貢献」という究極の理想的な言葉も許されると私は思います。


もっとほかのやるべきことを後回しにするために、”教さん”にイチャモンつけてるような気がして仕方がありません。
自分のことをちゃんと愛せる人しか他人を愛せず、それは愛された記憶がある方がはるかにわかりやすいという単純なことさえ、忘れ去られている気がします。
愛されるというのは、一緒にいる時間の長さでも与えるお金の多さでも、ましてや甘やかされることではないのです。


油断すると親にさえも殺されてしまう今の世の中に必要なのは、”教さん”世代の頑張りなのではないでしょうか?!
”教さん”世代にビシッとしてもらわなくては、日本人の心意気は失われてしまいます。
だから”教さん”にも、最期まで希望を捨てず頑張って欲しいのです。
よろしくお願いします。